松くい虫について

松くい虫被害が国内で最初に報告されたのは明治38年、長崎においてでありました。大正時代を経て昭和8年頃から被害が蔓延し昭和23年にはさらに被害が増大しました。戦中、戦後の松材の乱伐による松林の荒廃や他地域への移動がその原因であるとれさます。まさに人為的な行為が被害を拡大させたといえます。「松くい虫」という名前は当初、マツに対する穿孔性昆虫、約60種を総称した名前で、「マツノマダラカミキリ」(以後「カミキリ」)のみを指すものではありません。

マツノマダラカミキリ


マツの枯死が肉眼では見えない「マツノザイセンチュウ」(以下「センチュウ」)という線虫であることが昭和42年に発見され、接種試験で実証されたのは昭和46年のことです。以降正式にこの病気を「マツ材線虫病」と名付け、「松くい虫」という呼称は一般的な通称および行政、法律的用語として使われています。
松くい虫による枯死被害=松枯れ、以下「マツ枯れ」と表記します。

マツノザイセンチュウ 林野庁ホームページより


マツ枯れ対策として松林にまたはマツの木に殺虫剤を散布する方法、感染木の破砕や焼却をする伐倒駆除などがあり、いずれも媒介者である「カミキリ」を駆除する方法論で展開しています。決して「センチュウ」を駆除するものではありません。因みにセンチュウを運ぶ昆虫はマツノマダラカミキリだけではないことを付け加えておきます。

林野庁ホームページより


全国の被害状況は昭和54年のピークから落ち着いて令和2年度で30万立方メートルまで下がりましたが、上の図を見てください。激害地が西日本から東日本へ移りつつあります。そしてまさに長野県がホットスポット状態になっています。



その他に手取り早く松林を全伐し、他の樹林に変えてしまう「樹種転換」という方法もあります。林野庁の説明ではまず、「守るべき松林」があり、そのための防波堤のような緩衝帯としてマツの無い区域を作るというものです。例えば海岸線に立つ「防風林」としてのクロマツ林や山麓に広がる土砂災害防止のアカマツの「保安林」がこの「守るべき松林」ということになります。

林野庁ホームページより


しかし、本当にそれで松くい虫の被害から守れるのでしょうか?何か強引で乱暴な方法に思えます。
カミキリの移動距離は遠く飛んで3kmといわれています。ならば、守るべき松林の辺縁から3km以内にあるアカマツは皆伐の対象になります。実際には入り組んだ植生や地理的な問題、権利の問題もあり、そのようなきれいな線引きは難しいでしょう。何よりも周囲のアカマツ林が無くなった「守るべき松林」にその後カミキリが飛来しない保証はありません。過去においてマツ枯れの激害は人為的にもたらされた経緯があるからです。

安曇野市天満沢 皆伐地


結局、「守るべき松林」も伐倒駆除を同時にしていかなければならないのなら樹種転換などという大規模な工事は環境を守る上でどれだけの意味を持つのでしょう。
要するに松くい虫は「金くい虫」であって、過去、未来へと駆除に投じる費用は莫大なものになる故、木材をいくらかでも売れる内に全て伐ってしまえ! 合理的にも聞こえますがいかにも行政的な発想だと感じます。実はこれらの民有林の施業にも補助金が使われています。国や県、市町村からから7割も出ています。残りの3割は所有者の自己負担ですが伐採木を売ることで費用が補填されています。太くて素性の良いものは用材として、そうでないものはチップ材として取引されます。因みにチップ材の市場での買値は㎥当たり4000円と聞いています。
木材を売るだけでは伐採費用はもちろん広葉樹の森に転換する植栽などの費用は賄えません。

伐り出した材はニーズを伴わない安売りとしか思えません。


※参考 財団法人日本緑化センター 「最新•樹木医の手引き」
林野庁ホームページ