嵩下(たけのす)の行人松


(3) 行人塚
嵩下耕地の西方に、台地の上に大きな石碑がたっている行人塚という地籍がある。ここには古来、いわゆる入定(にゅうじょう)伝説が伝わっている。すなわち

いずれの時か、一人の旅の僧がこの地にやって来て、村人たちに、「自分はこの地を墓として一生を終ることにする。ついてはこれからその墓に入り、鐘をならして経文を読むが、鐘の音が絶えたら私は死んだものと思ってもらいたい。」といって、穴を掘ってその中に入り、上から空気を入れる穴だけをあけてふたをさせ、読経に入ったという。
そして、何日か後、今まで続いていた鐘の音が絶えたので、村人はその僧の霊をなぐさめるために、行人塚という石碑をたてたという。

現在の石碑については、年号を示す銘もなく、時代を確定することは困難であり、そうした僧の事蹟も明らかにすることは不可能であるが、先にあげた「行人塚原一件」の例を見ても江戸時代にはすでにこの地を行人塚と称していたことがわかる。
(以下略)原文ママ
穂高町誌 歴史編上 民俗編 396p

その行人塚に立っていて、たった一本残された「行人松」 が枯れたのである。


辺りは田んぼに囲まれた開けた所で他のアカマツも見当たらない。マツを枯らす線虫を抱えたカミキリムシたちは吸い寄せられるようにこの行人松に取り憑いた。
ひと目見ればそのマツの普通ではない姿を理解できた。本来、輪生枝であるマツは真横に枝を伸ばし特有の樹形になる。しかしながらこのマツは二又になり三又になり、斜めに上に縦横に枝を伸ばす。まるで広葉樹のような枝ぶりである。おそらく落雷や風雪に傷つきながらもその都度耐え、持ちこたえてきたのだろう。あらゆる物理的な力がこのマツにかかっていた痕跡をその切り株から推し量ることができる。
その特殊性ゆえに発する強烈なフェロモンに多くの虫たちが気付く結果になった。


かつて入滅した僧を村人が供養したように伐採された行人松から精油を取り出してみる。
少なくとも戦後年間をこの塚に守られ、またこの地を守ってきた 松 である。

その精髄たる油はこれまでにないほど純粋で透き通った色をしていた。