有明山

穂高寄りの松川村から見た有明山

安曇野市の北に接する北安曇郡松川村から見ると「有明山」の裏というか背中というか、穂高からは見えないピークを確認できます。有明山は富士山のような独立峰ではなく、すぐ裏のそのピークから清水岳、東餓鬼、東沢岳、燕岳と稜線で常念山脈へと繋がっているのです。
その名前もついていないピークは標高2283mで、2268mの有明山より15mも高いのです。有明山からすれば背後の目障りな奴に違いなく、名もないピークからすれば俺より小さいくせに!と思っていることでしょう。
現在ではどちらもアルプスの「前山」と蔑まれることいたし方なく、しかしながら、荘厳華麗な奥山にはない良さもあります。

有明山の背後に連なる燕岳から大天井岳辺りの山稜を(おそらく)昔の地図は「屏風岳」と表記しています。確かに有明山という「座」を飾る屏風のように見えますね。その辺りをひっくるめて屏風ほどのものとしか見ていなかった。これが正しければ当時の人々と奥山との関係が推測できそうです。人々の視線はもっと身近にあったと言えるかもしれません。(ただし、槍ヶ岳や穂高連峰、上高地、御嶽山や剣岳など、名だたる名峰は昔から山岳信仰として別格)
有明山の麓に「中房山」、「天満岳」という山名もみられます。等高線で描かれていない昔の地図は無茶苦茶でそれらの山がどこを指すのか判りません。山名も時代によって廃れ使われなくなり、また、新しい名前を付けられることもあるのです。
有明山の背中のピークも過去において呼ばれる名前があったかもしれません。

穂高有明からの有明山

大町市「鍬の峰」から南を望む

さて、北へ行くほど「有明山」は形が崩れ存在感がなくなります。ただそれも山を神格化した見方をするせいであり、ある一面的な捉え方でしかありません。山は眺めるだけでなく、分け入ってこその山であり、山に入れば 全てが変わり、懐に抱かれる満たされた思いと交互に、樹林帯の生々しい生命感に晒されて身が硬直することもあるのです。